この世の仕組み

サティ
みなさんこんにちは!サティです!!たくさんの方からの問い合わせや疑問があるので、ここに僕の理解している氣、エネルギー、この世の仕組みのことを少し書かせていただきます。

そしてまずはじめに、大切なことをお話ししたいのですが、僕はあなたのカリスマ的な絶対的に正しいことを言う教祖様ではありません。普通にこの世に人間としてエゴをもって生まれ、氣功を教えている身でありながら普通に病気にもなり、年相応に年齢を重ね老けていくし、社会や経済にもまれている一般の人間です。そして最後には死を迎え肉体を離れていくことでしょう。もしも教祖様に代表されるような完璧な人、不老不死の人、スーパーパワーを持った人を探しているのであれば、僕はそういう存在ではないことをお伝えさせてください。

また僕は、基本的に相手を僕に依存させるような行為をしませんし好みません。たまにいらっしゃるのですが、僕に身も心も捧げます的なことをおっしゃることは基本的におやめになってください。

僕が理解していることは、僕ひとりが全て発見したり経験したことではありません。たくさんの師匠たちに出会い、その師匠たちは師匠の師匠たちからうけついだことを僕にバトンタッチをしてくださったことです。そして僕はそれを実経験を経て、僕なりに理解していることです。人の数だけ正しいの価値観やルールがあります。僕のお話しはたくさんあるうちの、ほんのひとつの参考意見として心に留めおく程度にしてください。

まず僕の理解している大きな三つの仕組みを書かせていただきます。

ポイント

  • 良いエネルギーや悪いエネルギーと言われるものはありません。
  • 僕たちはこの世界でただ役を演じているだけです。
  • この世に生まれている人に完璧な人はいません。

良いエネルギーや悪いエネルギーと言われるものはありません。

良いエネルギーや悪いエネルギーと言われるものはありません。良し悪しをきめるのは自分がどのようなものの見方をするかになります。

これはどういうことかというと、その絶対的基準がないんです。あえていうのであれば、自分にとって居心地の良いエネルギーは良いエネルギーと感じるし、自分にとって居心地の悪いエネルギーは悪いエネルギーと感じます。でもその自分の心地よいという感覚は時間とともに、歳や経験を重ねるにつれて、どんどんと移り変わりますし、生まれ育った環境にも依存します。

いやいや、「私の体が楽になるので、この場所のエネルギーは良いエネルギーで、私の体が苦しくなるので、この場所のエネルギーは悪いエネルギーです」と言う人がいるかもしれません。

基本的に人は自分と同系統のエネルギーを心地よいと感じるようにできています。つまり正直な人は正直な人がたくさんいる場所が心地よいと感じるし、人を批判する人は同じように人をジャッジする場所が心地よいと感じる。

正直な人たちの輪の中に、ひとり、批判が大好きな人が入ると、その批判大好きな人はその場にとても居づらくなります。批判する人は、その批判をうんうんと認めてもらえる輪を心地良い場所とします。そしてうんうんと認める人は自分も同じように批判しているからこそ、それに同意し共感することができます。

そして大切なのはこの二人に優劣はありません。つまり正直な人が優れていて、人を批判する人が劣っているわけでもありませんし、その逆でもありません。ただ質が違うだけなんです。そしてこれらさまざまな人がいるから世の中がとってもおもしろくなります。

また見方をかえると、正直な人=つまらない人。という見方もできますし、人を批判する人=物事を多角的にみることのできるおもしろい人。ということもいえます。むしろ批判をする人は周囲に波風をたて世の中をおもしろくすることに貢献します。結局、自分がどのように物事をみてとらえるかでどのような捉え方にも解釈にもなるということですね。

人は基本的にまず自分を中心に世界を見て感じとります。もし自分が短気な人だったら、自分と同じようなエネルギーを心地よく感じますが、例えば病気や怪我を理由に短気な人から物静かな人になった場合、その人の世界を見る目がガラッと変わります。

以前のようなエネルギーは、エネルギーがあまりにも大きすぎて頭がいたくなり、もしかしたら居心地がわるくなるかもしれません。そしてかわりに、瞑想サークルなどに集まっている静かな落ち着いている人のエネルギーを心地よく感じるでしょう。

私たちはこの世界でただ役を演じているだけです。

僕たちはこの世界でただ役を演じているだけです。例えば、ものすごく貧しい国のスラム街に生まれて、毎日食べるものがない日々を子供のころから過ごしてきたとします。たまたま日本人の僕が旅行をしたその国で、その子供に財布を盗まれました。おそらく僕はこう思うと思うんです。

「なんて悪い子供なんだろう。僕が三ヶ月がんばってバイトでためた全財産を盗んでそれを全く悪いと思わないなんて人としておかしい!」

でもその子供はそうすることでしか生きていくことが出来ないとすればどうでしょうか?そしてもしも僕の魂がその子供の体の中にはいって生まれてきたとすれば、きっとおんなじように日本人旅行者のお財布を盗んで生活をするはずなんですよね。

ここまで考えてもらえるとわかるように、僕の魂はその日本人旅行者の中に入って生まれていれば、前者のように思うし、スラム街の子供の中に入って生まれていれば、後者のように思うんです。つまりあらかじめ用意された、スラム街や、貧しい国などの舞台セットやシナリオの中に、魂がはいって、そのスラム街の貧しい国の子供という役を自然とすることになっていると理解していただけるかと思います。

ということは、この今の僕も、たまたま、体の線の細い、好奇心旺盛な性格でアメリカに渡り、病気になって、それが治ることで氣の世界を経験していくようになる。そしてYouTubeなどで情報を配信するのが好きな性格。という舞台セットの中に入った魂が、サティという役を自然とすることに、ただただ、単純にそうなっているだけなんだ。と理解していただけると思います。

もしかしたら「氣の世界が理解できるってすごいです!!!尊敬します!!!」

って思われる方がいるかもしれませんが、それは大きな誤解です。あなたの魂が、今僕が演じているサティという体の中にもし入って生まれてきたら、きっとおんなじことをしているはずなんですよ。そう考えると、すごいとかすごくないとかそういう概念ではなくなってくると感じませんか?

この世に生まれている人に完璧な人はいません。

この世に生まれている人に完璧な人はいません。人はみんな全てエゴをもって生まれています。それが人として生まれてくるシステムであり、エゴがあるからこそ僕たちはこの世界でさまざまな経験をすることができます。

いえいえ、「私はエゴなんてもっていません。」「私は高い高次元の波動を持っています。」「私も昔はそういうものをもっていましたが、今では悟りの境地に至り手放すことができました」

という人がもしかしたらいるかもしれません。もうお分かりかとおもいますが、もしそう思っている人がいるとすれば、それらの主張をしている時点でそれがエゴですし、主張せずともそう思っているだけでエゴがそこにあります。

氣の世界で言われることですが、記憶はエゴだと言われます。実際に記憶が宿る年齢から自我=エゴが生まれます。記憶を振り返っていただきたいのですが、記憶って自分のことを中心としていませんか?私が○○した。私は○○さんに○○されて嬉しかった。○○さんが○○さんにあんな素敵なことをして私はこのように感じた。エゴがなければそれを記憶する必要すらなくなってしまいます。

自我=エゴという不完全な不安定な状態であえて生まれ、だからこそこの世をおもしろおかしく経験し、そしてまたあの世に帰ります。仏教の根本的な教えのひとつにありますが、エゴ=良くないものではなく、エゴとうまくお付き合いをしていくことが望ましいと言われています。

そしてそれはエゴだけはなく、どんなことにおいても同じです。東洋医学の基本にもありますが、ちょうど良い加減という絶妙のバランスをうまくとられてください。何事もバランスが大切であり、この世の中自体が全てバランスで成り立っています。

最後に

もしもこの目に見えない世界のことが気になるようでしたら、まずそういう世界に精通しているいろんな人と出会いお話しをきかれてください。それは現実にお会いしても、ブログでも、YouTubeでももちろんかまいません。もしかしたら全く正反対のことを言う人に出会うかもしれません。でもそれがこの世界の仕組みであり魅力のひとつです。

お話ししましたように、人は自分と同系統のエネルギーをとても心地よく感じます。その心地よく感じる方から、いろいろと教えていただくととても楽しく理解できると思います。

お悩み相談室 Q & A

Q: 自分の展開する考え方や理論を絶対的に正しいと信じ込み、自分は正義の味方として他者を徹底的に批判する人がいます。私はそれはちょっと違うんじゃないかと思うのですがどう思われますか?

A: 人の数だけ正しいの価値観やルールがあります。その人は人生のその段階においてそれを正しいと信じ込む時期なのかもしれません。

基本的に他者を批判するということは、自分が優れていて他者は自分よりも劣っているということを公に明らかにするという意味を持ちます。どんな立派なことを発言しようと、自分は優れた存在だと自分で主張をしているということです。

相手のためを思うのであれば、批判ではなく良きアドバイスをするでしょう。そして逆にいうと、愛があればどんなことをいってもそれは批判ではなくアドバイスとして伝わります。

基本的に人は人を変えることはできません。ですが、その人はその行動をずっととっていると、ある時ふと「気づく時」がきます。自分の価値観が絶対正しいということはもしかしたら違うのかも?と。

人はエゴに従った行動をずっと繰り返していると、なぜか必ず飽きがくるようになっていて、次の段階へシフトをしていけるようになっています。

江原弘之さんや美輪明宏さんがおっしゃっていることにこういう言葉があります。「幼い子供のいうことに大人は本気で怒らないでしょう?」愛をもって大人の気持ちでその方を見守ってあげるというように、あなたの心の持ち方を変えてみるというのはとてもすばらしい考えのシフトです。

ですが、もしもそれがあなたにとってとても難しいようであるならば、上記の「私たちはこの世界でただ役を演じているだけです。」を思い出してみてください。

もしもあなたの魂が、その方の体の中にはいってその役を演じることになっていれば、きっと同じようなことをしているはずです。その方がそれをするには必ずそこに至るまでのステップと理由があってのこと。そして逆に、その方の魂があなたの体に入って生まれていればあなたのように思い感じるはずです。

その人はその人の役をただ演じているだけなんです。そしてあなたもあなたの役をただ演じているだけ。ただ舞台が配役どおりに配置され、シナリオどおりにすすんだだけだと気づくことができれば、あなたのその感情は、いつのまにか無くなっていることに気がつくことでしょう。

Q: 陰口を叩かれたり、私の知らないところで一方的な根も葉もない噂をされています。どうすればよいでしょうか?

A: あなたに何も落ち度がないのであれば、ご自分の行動にご自身の正義をきちんと持っているのであれば、全く気にしないでおきましょう。

基本的に陰口を叩いたり、あなたの知らないところで、あなたに不利になる噂をするという行為は、その人の心の弱さから来ています。

考えていただけるとお分かりになると思いますが、陰口を叩いたり、一方的な噂をあなた知らないところで広げるという行為をして利益を得る人は誰でしょう?

あなたのためを思うのならば、あなたに直接面と向かってお話しをするのが最も最善な方法です。

あなたではなく周囲の人の為を思うのであれば、これもあなたに直接面と向かってお伝えするのが最善の方法です。なぜならあなたの何かが改善されることで、周囲の人の為になるからです。

ではあなたに直接伝えずに、周囲の人に陰口を言って歩く行為はなぜ起こるのでしょう?

それは陰口を言う人が、自分の価値を上げることを最優先に考えた場合にのみ、陰口を叩くという行為が生まれます。

あなたのことや、周囲のことを最優先には考えていません。そのようなことにあなたは心を痛める必要は全くないと思いませんか?

昔からの言葉で因果応報という言葉があります。それは発したエネルギーは周りに回って何倍にも膨れ上がって当事者の元へと戻るこの世のシステムのことをさしています。

あなたは、ただあなたらしくいてください。あなたが何もしなくても、必要なことは必ず起こります。

Q: 人の不幸を笑う人や、人の失敗を喜ぶ人がいます。先日私が不幸になったことを私の目の前で明らかに嬉しそうに鼻でクスッと笑われました。正直もう悔しくて涙がこみあげてきます。私はこの人に仕返しをしたいとさえ思い始めています。

A: あなたのことを心から大切に思っているのであれば、きっとその人はあなたのことを心から心配するでしょう。あなたのことを快くおもっていないのであれば、あなたの不幸はその人の価値をあげることになるのできっとその人の喜びになるでしょう。

上記にも述べていますが、因果応報という言葉があります。その人が発したエネルギーは回り回って何倍にも膨れ上がって当事者に戻るというこの世のシステムがあります。

その人が発したあなたに向けたエネルギーはその人へ必ず戻ります。その人は自分が何をしたのかを何倍にも膨れ上がり戻ってきたエネルギーで理解をするでしょう。

しかしここで大切なことがあります。これで「あなたは相手に仕返しができた。ざま〜みろ! 」ともし思われるのでしたら、それはまた違う意味になってきます。そのあなたが発したそのエネルギーは何倍にもふくれあがりあなたへと戻ります。

エゴにエゴで応えるこの方法には終わりがありません。ここで思い出していただきたいのが、上記のおはなし「私たちはただ役を演じているだけです」です。

その人はその人の役をただ演じているだけなんです。そしてあなたもあなたの役をただ演じているだけ。ただ舞台が配役どおりに配置され、シナリオどおりにすすんだだけだと気づくことができれば、あなたを悔しくさせるその感情は、いつのまにか無くなっていることに気がつくことでしょう。

投稿日:06/12/2019 更新日:

執筆者:Sattee Fujimoto

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