食が血となり、血が肉となる。血液を浄化して萬病を治癒に導く
この雑誌の九月号に記事を書かせていただきました(6~8ページ分になります)。二ヶ月毎に発行されるこの雑誌はアロハ医学をはじめ、自然医学の要素がたっぷりと凝縮されたエッセンスです。食品添加物のこと、アーシングのこと、経膚毒、難病をはじめ患者の症例が改善していく例〜どのように改善していったのか、武医道、霊性〜スピリチュアリティ、舌での症例判断など、人がタオ(宇宙の法則)と寄り添い生きていく情報が盛りだくさに掲載されています。(※霊性〜スピリチュアリティのコーナーはミキティ先生が毎月執筆をされています)。治療家を目指す方はもちろんのこと、日々の健康を根底から取り組みたい全ての方におすすめします。
私が九月号に書かせていただいたのは「アメリカン海外ドリーム」というコーナーです。記事の一部掲載許可をいただきましたので、最後に掲載をさせていただきます。
この刊誌の年間サブスクライブにご興味のある方は、ハワイさんの公式ラインアカウント、もしくはミキティ先生のライン公式アカウントよりお申し込みください(どちらから申し込まれても同じ特典がつきます。この雑誌の内容がすばらしいので僕もミキティ先生も無償で告知をさせていただいています)。実際の雑誌が郵便で毎月届くことはもちろんですが、オンラインで読むことができるスタイルへもプラスして現在取り組んでいます。また、追加特典としてハワイさんorミキティ先生の公式ラインアカウントからお申し込みをいただくと下記スペシャル特典がつきます。
スペシャル特典
シモン先生、ジェナ先生のお話し会に優先的に参加できます(※毎回チケットが数分で完売します)
詳細
料金: 6千円
(税込/年間購読/二ヶ月毎に発行される雑誌〜月換算にすると毎月1000円)
購読スタイル: 二ヶ月毎に雑誌が郵送されます
(オンラインでも読むことができるように現在取り組み中です)
お申し込み方法: ライン公式アカウントよりお申し込み
下記ハワイさん、ミキティ先生、どちらかのライン公式アカウントより「アロハ自然医食購読希望」と添えてお申し込みください。スタッフより折り返しご連絡いたします。
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掲載記事(一部ご紹介)
アメリカン海外ドリーム
私のアメリカ生活を「成功者」と呼べるのかどうかは私にはわからない。ただ、私は私の選んだこの「アメリカ行きの人生」を全く後悔はしていないことを考えると、私は世間から何と言われようと、自身で「よくがんばったね」と褒めている自分がいる。この一年半で私は1000万円以上の寄付をした。寄付先は主に世界の貧しい子供達へ、そして捨てられてしまう赤ちゃんの保護と救済、そして親を亡くした学生たちへの学費の援助である。しかも個人名義なので税金の控除にはあまりならない。なぜ個人名義にしているかというと、この金額にまで膨れ上がるとは全く思っていなかったのだ。ここでお分かりの通り、私は効率的に、そして経済的に、人生を無駄なくスマートに軽やかに生きるタイプではない。私の職業は何かと聞かれると「治療家」と答えている。
父がバスの運転手、母は看護師の間に三人兄弟の長男として生まれた私は、とにかく「わがまま大王」だった。今でこそおとなしそうに見えてはばからない自分がいるが、当時は自分の思い通りにならないと「泣き叫ぶ!」。おもちゃ屋さんで泣き叫んでいる男の子をみると自分の過去を思い出さずにはいられない。私は四歳ですでにプライドが高く、親から怒られると「自殺をしてやる」などと口にしては母親に涙を流させていた。そんな私が、アメリカ行きを決めたのは28歳のときの大晦日の夜だった。
突然雷にでも打たれたように、「アメリカに行かなきゃ!」と強いメッセージのようなものが脳裏に入ってきて、私はいてもたっても行動せずにはいられなかった。当時フリーランスのウェブデザイナー、グラフィックデザイナーとして活動していた私は、履歴書をアメリカの住んでみたい三つの街(サンフランシスコ、ニューヨーク、ハワイ)へと送った。もちろん送ったのはかしこまった郵送ではなく、その住みたい街に住所のある会社のウェブサイトから、オンラインフォームで送りまくった。
なんとなく「未来を先読みする感」だけには自信があった私は、このオンラインフォームからすぐに返事を受信する。「今ちょうど社長が日本の東京に出張でいるので、明日面接できますか?」というもの。そしてありがたいことに、当時ベンチャー企業というものが流行った時代、サンフランシスコの当時とても小さい立ち上げたばかりの会社「btrax.com」に五人目の従業員として就職をすることになる。
ここまで話をすすめると、私は簡単にアメリカで成功したように錯覚をする人がいるかもしれない。しかし、私の成功の裏には膨大な規模の「周囲の圧力と大反対」があった。「大企業に就職して、そのお金で土地を購入して、立派なお家をたてて、お母さんたちを安心させておくれ」と昭和感絶賛爆発中のうちの両親の同意などもちろん得ることはなく、友人、知人、職場関係の方たちの賛同もほぼなし。とにかく「私のことを大反対」するように誰かが仕組んでいるのではないのか?を疑い出すくらいの大反対を、完全に無視してひとりアメリカの地におりたった自分を待っていたのは、チョモランマ山の標高と同じくらいの高さにまで無駄に築き上げてしまった私のプライドの大破壊だった。
英語が話せず、そして見栄とプライドだけは高い私は、周囲とうまく馴染むことができなかった。英語が話せないため言い訳すらできない、そうすると人はもう「ふてくされる」しかないのだ。人とうまく馴染むことができないというのは、金運がどんどん離れていくことを意味する。仕事ができない人というレッテルが貼られる。仕事を注文しても頑固なところがあるから仕事がやりにくい!それが私だった。
従業員が五人の小さい会社は、みんなの力で世界の大企業の仕事をモノにしてきた。そう、この会社はちょうど時代の波に乗れたのだ。そんな中、ランチ休憩中にふと目にしたのは「レイキヒーリング」という、とても怪しそうな広告だった。「レイキヒーリングを5000円でします。夜中の10時にヒーリングを送りますので、私から受け取ります。と宣言をしてください。そうすれば私のヒーリングを受け取ることができます。」こんな広告に誰がひっかかるのか?それが私だった。笑
たまたま社長にこの広告を見せてみた。「社長!こんな広告がでてきたんですけど、どうですかね?」。私の想像はこうだった。きっと社長はこう返してくるだろう「怪しそうだが、もしかしたら〜というのもあるかもね。」みたいな甘い蜂蜜王国の蜜の味を好んでいた私の頭を社長は粉々に砕いた。「こんなのにひっかかるバカって世の中にいるの?」
アメリカ生活に少しなれはじめたころから私の元にはお金が舞い込んできた。それは英語の勉強のために仕事のあとに学校に通うという時間がバカらしくなり、英語の勉強なんて、レストランで働けば従業員やお客さんと話すからできるじゃん!という安易な発想から、レストランのアルバイトを英語学習を兼ねてしまくったのである。
私のところに入ったお金の使い道はもちろんコレだった。「レイキヒーリングをします」から、「レイキヒーリングができるように教えます」を通り、「レイキを教える先生になりませんか?」にまで至った。さらに世界中に存在する200以上のレイキのようなよくわからないヒーリングを受けに受けまくり、さらにそれらの先生コースというのも受講しはじめた。もうヒーリングというジャンルのちゃんこ鍋である。そこからタオ〜氣功〜指圧〜足ツボマッサージ〜インド密教〜チベット密教〜よくわからない不思議な能力や術を使う人たちまでを巡り回った。
そして私の中である確信が生まれる。それは「目に見えない不思議なエネルギーは確実に存在する」というものだ。なぜかというと、そのヒーリングやらよくわからないものを受けると、彼らの言う症状や注意事項が私の体に現れるのだ。さらにセッション料金の高い偉い先生といわれる人のセッションを受けると、私が誰にも話していないことをまるで全てどこかで見てきたかのように話し始める。
特に覚えているのは、当時ニューヨークに住んでいた「大内雅弘」という氣功の先生、この先生は私の心の中まで全て見透かしたかのように話し始めた。なぜわかるのですか?と訊くと、あなたの後ろの人(守護している存在)が私に伝えてくるのだよ。という。カリフォルニア州バークレーの「ジル・マーリン」というチネイザンの大家のセッションを受けると、まるでスーパーサイヤ人になったかのように私の体が軽くなり声が大きくなった。ジルは、私の丹田(おへその少し下)に軽く手を当てただけである。何かがある!15年前の当時世間では怪しいと言われていたこのテの世界には何か確実なモノがある!そう確信した私はIT関係の仕事を全てやめ、全財産をこれらを勉強することに費やした。
そうすると、私の人生はどんどん好転し薔薇色の人生まっしぐらのように赤い絨毯が敷かれつづける。というのとは全くの正反対で、そこからの人生の何もかもが突然うまくいかなくなった。お金がなくなり、よくわからない難病になり24時間絶えず全身が痛みに苦しむ毎日がはじまる〜毎日90分しか眠れない日々を半年間過ごした。そして追い討ちをかけるように家賃を払えず家を追い出される。
食べるものに困り、電車賃にも困り、ゴキブリとねずみだらけの家に住み、レストランをはじめ五つのアルバイトをかけもちし、そこで頂くことのできる従業員のための賄い食で生き延びていた。アメリカに住んでいると必ずある、脅し、恐喝、そして詐欺、安全の国日本では味わえないこれらのある意味楽しいアトラクションが、私のアメリカ生活にさらに追い討ちをかけた。特に詐欺には何度もあった、その度にアメリカの警察署へ全ての証拠をもっていくが、そこで突きつけられるのは「騙される方が悪い!」という現実。毎回警察へ提出する被害届けやポリスリポートは何の役にも立たなかった。そしてアメリカ生活が進んでいくたびに増えていく「借金の金額」。そう、クレジットカード地獄という、蟻地獄に陥るそのアリが私だった。
全てがもうどうでもよくなった。そしてプライドの高い私は死を望み始めた。天へ帰りたい。しかし「自殺は良くない」という見えない世界の知識だけはあったので、事故か天災かであちらへ行けないものだろうか?そればかりを願っていた頃、自殺する前にまだ自分の力を100%出し切れていないことにふと氣がついた。霊感などないと思っていた自分に亡くなったおばあちゃんの声が聞こえその存在を感じるのだ。そしておばあちゃんは語り始めた「自殺なんかするんだったら、日本に帰って一から全てをやりなおしたらいい!」それを聞いた時にふと母親からのこの言葉を思い出した。そう、私が四歳の頃に「自殺をしてやる」と母に言った時に何度も聞いたこの言葉である。
その時母は私にこう言った「もしも自殺をするのなら、その前に死ぬ気でそれに立ち向かってごらん!どうせ死ぬ覚悟があるのならそれからでも全然遅くはないでしょ!」。私はその言葉通り、死ぬ氣で現状を変えることに取り組み始めた。当時の私にはお金がないので保険に入れない。病院代が払えないから病気やケガをするわけにはいかない。できるだけ安い家賃の家にひっそりとすみ、食費を削るため安い粗悪品の食品を買って食べる。それが私の日常だった。
「どうせ死ぬのなら」この言葉は強かった。死のひとつ手前までくると、人生で本当に価値のあるものは何かがみえてくる。それを経験すると、私がそれまでの人生で価値をおいていたものはどれも「つまらないモノ」ばかりだった。私は全てを捨てた。役に立たない見栄やプライド、恋人、友人、家も職場も変えた。そうすると不思議なことが起こり始める。
1年ほど前に応募した好条件の会社から、うちで働いてみない?という電話が入る。それをきっかけに、ニューヨークではありえない、高級物件が格安のお値段で借りることができた。たまたま入ったレストランである人から突然話しかけられ「あなたに伝えてほしい伝言があるので伝えますね」と言われる。「あなたが今抱えている全ての苦しみがもうすぐ終焉を迎えます。だから安心しなさい。」後から知ることになるのだが、この人はニューヨークで有名な霊能者だった。
その霊能者の言うとおりにその二週間後に私の全身を蝕む痛みがピタッとなくなる。それと同時におでこに光があたりはじめる。本当に光があるわけではないのに、おでこが常に何かの強い光に照らされ続ける感覚がおさまらないのだ。それが数日つづくと今度は、子供の頃の感覚が蘇り始めた。すっかり忘れていたが、私は子供の頃にはちょっと不思議な力があった。神経衰弱が全て何がどこにあるのかがわかるのだ。また、人の気持ちがとにかくわかった。そして寂しそうにしている大人の人のそばに私はよく行っていた。
おでこの感覚が日常になりそれが当たり前になりはじめた頃から世界が明るく見え始めた。こんなに世の中は眩しかったんだと、目に映る世界の全てがなぜかとにかく美しく見えた。それから私は、なぜか難病の人とよく出会うようになる。戦争カメラマンの人がどれだけ精神と肉体をむしばんでいるのか、そして世界中の誰もが知る有名俳優、歌手、モデル、実際に会ってみて感じるのは彼らの心と体はボロボロだった。表舞台では輝いているようにしか見えない彼らには必ず闇の部分があった。私は彼らを治療できる腕をもつ難病治療家になりたいと覚悟を決めた。
私は自分の心のままに「感」だけで動いた。治療家として必要な能力と知識を身につけるために、アメリカの様々な州に旅行をし、そして必要であれば引越しをした。ヒーラーや治療家としての有名無名に関わらず、私が気になる人に積極的に連絡をとり実際に彼らの治療所や学校を訪れた。人が「感」で動き始めると、タイミングというものが不思議と合い始める。
人の潜在意識へ限りなく深く潜る能力をもつ氣功の「吉村竜児」先生と出会い、その技術の全てを教えていただいた。細部まで感じていたエネルギーの認識をこの先生との出会いで全て明確にすることができた。また私が過労で仕事中に意識を失って倒れたすぐ後に出会ったのは、奥義と言われる内丹法の技術を継承する「木村丈彦」先生だった。そしてマウイ島の山奥でヒッチハイクをした時に私を拾ってくれた人は世界的に著名なヒーラー「マイケル・マクブライト」だった。人生というシナリオは本当によくできている。そんな中ふと目にしたYouTube動画に私は目を奪われた。「Casey Neistat」という、ニューヨーク在住の日常生活をYouTubeで公開する、ひとりのサングラスをかけた細身の男性だった。
この男性の何に惹かれたかというと、自由気ままに生きている彼のその生き様がそのままYouTubeに映っている。そんな彼はこの動画収益だけで毎月「億」という金額を稼ぐ、そんな彼のYouTubeの登録者数は1000万人以上だった。そして彼の動画広告には偶然この文字が表示されていた「YouTubeで月収30万円以上は簡単!今すぐはじめてみよう!」。私はこんな安易な謳い文句に惹かれた。私の中の何かのスイッチが「カチッ」と入った。
運命というものがあるのか?と聞かれれば、私は迷わず「イエス!」と答える。なぜかというと、その翌日に待っていたものは奇跡としか言いようのない現実だった。私が週末だけ働くアルバイト先のファーマーズマーケットで、日本人YouTuberの男性が偶然何のアポもなく取材にきたのだ。私はその男性に訊いてみた、動画って簡単に撮影をして編集ができるのか?と。彼の答えは私の想像以上だった。「できるよ!しかもそのあなたの今持っているアイフォンで撮影から編集〜YouTubeに公開までの全てのことができるよ!」私のこころに「イエス!」という華が咲いた瞬間だった。
私はこれまで学んだ氣や神仏の目に見えない力をYouTubeの動画に入れてみた。そう、理論的には可能なのだ。神社仏閣の紙や木製のお札に悟りを開いた能力者がパワーを入れる。それと同じ仕組みである。その動画は再生をするだけで確実に私の込めたエネルギーの力を発している。つまりだ、こういうことができるのである!
私が1日にエネルギー治療ができる人はせいぜい三人が限界だった。それがYouTubeの動画に氣や神仏の力を入れてそれを公開すれば、全世界中の人が動画を再生するだけで氣功治療が受けられるのだ。ではそこに動画広告を載せればどうか?患者は動画をみる。そうすると広告が再生される。その広告の収益は私の治療費へと置き換わる。YouTubeは動画が再生されるのでYouTube側も利益がでる!つまり患者は無料で治療を受けることができ、YouTubeは利益をあげ、私には広告料という名目の治療費が入る。関わる三者ともに利益を得ることのできる完璧なシステムを世界で初めて創り上げた。
言葉を置き換えると、世の中は目に見えるものにしか価値をおいていない社会なのだ。だから誰もこのシステムに氣がつかない。私は誰も手を出していないこの分野の開拓に時間とお金を費やした。創れば創るほどもっと効果のある氣功動画をつくりたくなるのが私の性格だった。そして私のこのシステムがYouTubeで成功をしはじめると、多くのYouTuberが私の仕組みをマネしはじめた。
私はその業界では有名になりはじめる。ただ同時に批判もおこる。目に見えない世界に対して新しいジャンルを創った私への批判は大きく二つに分かれていた。ひとつは私の存在で利益を損なう人たち。もうひとつは、目に見えないエネルギーを理解することができない人たち。
人は自分の理解を超えるものは「とにかく否定をする生き物」である。彼らは動画に本当にエネルギーがあることがわからない。目に見えるわかりやすい、いかにもヒーリング動画ですよ!というものしかこの世界の人たちは目にしたことがない。そこに癒しを伴う音楽や、癒しを誘発するような映像もなく、音叉や周波数もない、ただ動かない動画に氣や神仏のエネルギーが入っているというものが理解できないのだ。
たしかに、目が見えない人に色を説明することが難しいのと同じ、味覚がない人に味を説明するのと同じ、エネルギーを感じる感覚がない人にそれを100%理解を求めることはできない。ただ、ここで驚いたことがある。(続きは雑誌でお楽しみください。※雑誌では文章とともにその当時の関連写真が掲載予定)